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人生は神の演劇、その終幕をどうしたいのか

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12年前、中古住宅を購入し今の家に引っ越した。
引越し初日、いきなり隣の(というか斜め前の)近所のオバさんに怒鳴られた。

「道はみだしてるじゃないの!!!ブー
今の家は公道ではなく私道(砂利道)に面しており、出入りは当然その私道からしなければいけない家。(図参照)
人生は神の演劇、その終幕をどうしたいのか

引越しのドタバタで少し私道にはみだして止めていたのだろう自分の車に対し、近所のオバさんは初日から猛攻撃をかけてきた。
もちろん新参者ゆえにルールも全くわからなかった自分は「すみません!!!」と謝り、その場をおさめた。

当然近所付き合いは円滑に進めたい。4〜5年はそのおばさんと仲良くなろうと実家に帰った時などは千葉土産も買って挨拶に行ったりしてなんとか良好な関係を築きたいとガンバっていた。

だがその甲斐も虚しく、オバさんはその後も土地への執着?縄張り意識?を全く衰えさせず、少しでも車がはみ出ると途端に噛み付いてきた。
仕事をしてなくて日常的に家にいるようで、常に見られてる感を感じる状況。習い事教室を自宅で開いてる妻も、自宅前の狭い駐車場に少しはみ出して止めてしまう生徒さんの車に何度となく張り紙をされてきたり、何度も怒鳴り込まれたりしてきた経緯から、悩んでもいたし一度は引越しまで考えたこともあった。

一度あまりにもエスカレートしてきたタイミングで、自分も普段から腹が立っていたのもあり”いい加減にして欲しい”とクレームを入れた。というか半分キレていた。
こっちも気をつけている、でも10〜20cm程度はみ出ることはある。家の前は私道だが自分たちしか出入りせず、他の車の邪魔になることはない。その旨を伝えるも、一向に聞き入れず。それはもちろんはみ出すこちらが悪いとは思うが、日常的に監視され、張り紙をされ、クレームをつけられてはこちらもおかしくなる。さすがに限度があるだろうと。
だがそのクレームも関係改善するには程遠く、売り言葉に買い言葉。結局平行線に終わった。

ある日自宅を塗装工事する時に、業者がオバさんの家にサランラップを持って挨拶に行ってくれたが、そのサランラップの角がひしゃげて自宅駐車場に落ちていた。オバさんが家の壁に投げつけたかなんかで角がひしゃげたんだろうなというのは一見してすぐわかった。

人間的にちょっとおかしいなと感じてたのも案の定、ほぼ近所付きあいもなく、親戚からも疎まれていたという話を近所に住む親戚のおじちゃん(仲良し)から伺った。その一帯の大地主のもとに生まれた娘(オバさん)、大地主の兄弟もその一帯に住んでいた。小学校も目の前なので、学校行事で送迎の自家用車が一瞬数台停めているだけで学校にクレームの電話を入れていたりした。

「ほうれ見ろ。そんなギャンギャンわめきちらしてるから人が寄ってこないんだよ!」

心の中でさも当然、我が身を省みてくれ!と思っていた。
だからここ数年は関係は完全に断絶。見かけても挨拶もせず、互いに我関せずを貫いていた。




先週土曜日の昼間、近所に救急車が止まり、誰かと覗いてみると、隣のオバさん宅。ほどなく警察車両も2〜3台。人がたむろしている。
「ん?」
只事ならぬ雰囲気を感じ、少し近くに行ってみた。

仲良しのおじちゃん含め一帯の親戚が怪訝な表情を浮かべてオバさん宅の庭先に集まっている。警察も4〜5名。鑑識と思わしき風態の捜査員もいた。そう思ったのも束の間、とうとう門の所によくドラマで見かける「立ち入り禁止」の「黄色いテープが貼られた。

「まさかな・・・・」

どこか嫌な予感をうっすら感じつつ、正確な事態を把握できないまま自宅へ戻ったその30分後ほどだろうか、警察が自宅へ聞き込み調査へ来た。

「実は、隣の女性(オバさん)が、おそらく1〜2週間前だと思いますが庭先で倒れ、そのまま亡くなったようで、腐敗が進んでいて今現場調査しています。」


一瞬「やっぱりか・・・・・」と、亡くなっていた嫌な予感が当たっていたというのがわかったが、何とずっと誰にも見つからず亡くなってそのまま腐敗してしまっていたなんて。。毎日自宅に帰ってきていたのに、その10m先で人が亡くなって倒れていたなんてそれこそまさかだった。
確かに生垣に覆われたその家と角度から、門の中に入ってこなければ見つけることはできないのはそうだったが、それでもあまりに不憫で可哀想な最期に心の動揺が隠せなかった。正直、疎ましかったのは事実。しかしいざこんな形でいなくなられると、もう少し仲良くなるべきだったのかとか、色々な感情がわき起こりどうも穏やかではいられなかった。


生きることと、死ぬことは同義であり、セットだ。
生きるものは必ず死ぬ。それは免れない現実。
限りある儚い命だからこそ、悔いなく燃やし尽くさねばいけない。
「どう生きたいか?」を問うなら、同時に「どう死にたいか?」を一緒に考えることも必要なのかもしれない。世界的ベストセラー「7つの習慣」でも「自分の葬式を思い浮かべなさい。どんな人が訪れ、自分にどんな弔辞を読んでくれているのかを」とある。
死に様は、生き様にあらわれるなんて格好いいことを言えるほど人間できていないのでおこがましいが、人生は神の演劇、ならばその終幕をどう持っていくかを常に考えて生きなければ、そしてそれを常に考えることで生きることをより輝かせられるのだろうと思わされた出来事だった。



オバさん、どうかあっちでは、まわり近所と仲良くやって欲しいな。





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